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一千年以上続く文化「相馬野馬追」~予習編~
みなさん「相馬野馬追」というお祭りをご存じですか?
福島県相馬地方で7月の下旬、3日間に渡って行われるお祭りで、世界有数の馬の祭典とも言われています。
侍の伝統を受け継ぐ、とても勇ましく迫力のあるお祭りは東北の夏を代表する祭事の一つです。
甲冑に身を固めた何百もの騎馬武者達が一同に集う様子は、まさに教科書で見た時代絵巻の世界。
戦国時代ような雰囲気を味わい、勇壮な騎馬武者の姿を一目見ようと、歴史好きや外国人観光客なども多く訪れます。
国内外問わず多くの人を魅了し、一千年以上もの間、地域の皆さんによって大切に継承されてきた伝統的行事「相馬野馬追」。
「野馬追ってどんなお祭りなの?」
「どんな行事があるの?」
「知っておいたらより楽しめることは?」
など、野馬追を初めての方にも楽しんでいただけるよう、今回は「相馬野馬追~予習編~」としてご紹介していきます。
ぜひ、「相馬野馬追」の世界を覗いてみましょう。
「相馬野馬追」ってどんなお祭り?
相馬家が領土としていた、福島県の相双地域を舞台に、毎年7月の下旬、3日間に渡り開催される”馬を追う神事・祭り”です。
一千年以上続いている「相馬野馬追」は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
本物の甲冑に身を固めた約400人の武者達が馬に乗り、腰には太刀、背中には先祖代々伝わる指旗を背負い、街中を練り歩きます。約3kmに渡るお行列や、甲冑競馬、神旗争奪戦など、見応えのある行事も多く盛り込まれており、全国から約10万人以上が訪れるお祭りです。
野馬追の始まりと現在
野馬追の始まりは、今から一千年以上もの昔、平安時代中期に遡ります。
当時一帯を統治していた相馬家の先祖であるといわれている平将門が下総国(現在の千葉県北西部)に、放牧した野生の馬を敵兵に見立てて軍事に応用。
捕らえられた馬を神前に奉納したことに始まったと伝えられています。
明治時代になり武家社会が終わりを迎えると、野馬追原に放牧されていた馬が捕獲され、相馬家の年中行事である野馬追ができなくなりました。
しかし、その後代々の当主がこの行事を伝承。
地域の平和と安寧を祈る神事として、幾多の困難を乗り越えながら今日まで受け継がれ、今なお熱気あふれる行事として繰り広げられています。
詳しく知ろう!相馬野馬追スケジュール
- お繰り出し・出陣式(各神社)
- 総大将お迎え(南相馬市鹿島区)
- 宵乗り競馬(雲雀ヶ原祭場))
- お行列(南相馬市原町区野馬追通り)
- 甲冑競馬(雲雀ヶ原祭場)
- 神旗争奪戦(雲雀ヶ原祭場)
- 野馬懸(相馬小高神社)
DAY1
ここから始まる相馬野馬追「お繰り出し・出陣式」
相馬家の氏神である妙見を祀る相馬三社(相馬太田・小高・中村神社)にてお繰り出しの儀式が行われます。
野馬追の主人公である騎馬武者は、それぞれの属する”郷”ごとに出陣式を行い、祭場となる雲雀ヶ原祭場地を目指して出陣します。
”郷”とは、中村藩の領地区割りのことで、宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷の5つに区分されています。各郷ごとに騎馬隊が編成され、さらにそれらが妙見三社ごとに三軍に編成されます。
宇多郷・北郷は相馬中村神社、中ノ郷は相馬太田神社、小高郷・標葉郷は相馬小高神社に属しています。
全三軍の指揮を執る総大将の出陣式が行われる相馬中村神社では、国家である”相馬流れ山”を斉唱するなど、もっとも厳粛に行われています。
相馬中村神社では宇多郷勢、相馬太田神社では中ノ郷勢、相馬小高神社では小高郷・標葉郷勢が各々出陣式行います。
北郷勢は副大将宅から出陣し、宇多郷勢と合流するため、北郷の陣屋へ向かいます。
いざ出陣、相馬野馬追が始まります。
総大将お迎え
宇多郷勢を率いて進軍してくる騎馬武者TOPである総大将をお迎えする儀式が行われます。
雲雀ヶ原へ向かう道中にいる北郷勢で行われ、北郷の陣屋では、副大将を中心に、侍大将、副軍師がそろい、軍者をはじめとする各役付武者や螺役などが整列して総大将をお迎えします。
総大将訓示の後、宇多郷・北郷勢という騎馬軍を編成し、御本陣である雲雀ヶ原祭場地に向け進軍。
総大将からの伝言は、使者を馬で走らせて伝える早馬により、北郷陣屋に知らされます。
伝言が届くと緊張感が漂うと共に、臨場感のある武者達の口上がより一層観客を盛り上げます。
和流競馬を再現「宵乗り競馬」
各郷の騎馬武者が祭場地である雲雀ヶ原祭場地へ到着すると馬場清めの儀式のあと、宵乗り競馬が始まります。
宵乗り競馬とは、古くから伝わる和流競馬を再現し、1周1000メートルの順位を競います
武者の衣装は、白鉢巻き・陣羽織り・袴姿、馬は和式馬具を身につけていることが特徴。
全国的にも珍しい貴重な和流競馬は、一見の価値があります。
DAY2
約400騎の大迫力!騎馬武者の進軍「お行列」
相馬野馬追のハイライトである2日目。
約400騎の騎馬隊は、雲雀ヶ原祭場地を目指し繰り出します。陣螺・陣太鼓が鳴り響き、行列を整えながら約3km進軍。
騎馬武者全員が、甲冑をまとい、太刀を身につけ、先祖伝来の旗を背負い行列をなす姿は、圧巻。
炎天下の中、進軍する勇ましい騎馬武者たちの姿は、必見です。
騎馬武者が速さを競う「甲冑競馬」
騎馬武者たちが、雲雀ヶ原祭場地に到着すると、次は甲冑競馬が行われます。
甲冑競馬は、1周1000メートルの速さを競います。
身につけていた兜を脱ぎ、白鉢巻を締めた騎馬武者が、先祖伝来の旗指物をなびかせ、全速力で駆けていきます。
砂埃が舞う中颯爽と駆け抜ける武者、馬の駆ける音、旗のなびく音、大迫力の光景に観客も魅了されます。
戦国時代!?「神旗争奪戦」
甲冑競馬が終わると、次は神旗争奪選が繰り広げられます。
御神旗が2本入った花火が打ち上げられ、騎馬武者たちは、落ちてくる御神旗を馬上から鞭で奪い合います。
ひらひらとゆっくりと舞い落ちる御神旗を目がけて一斉に騎馬武者が移動。鞭を振りかざし、御神旗を奪い合います。
御神旗は必ず馬上でとらなくてはならず、あまりの激しさに落馬をする武者も。
見事に神旗を勝ち取った騎馬武者は、神旗を掲げながら本陣山のある山頂に向けて一気に駆け上がり、報告。
会場からも歓声が湧き上がり、武者の栄誉を称えます。
まるで戦国時代の合戦のような大迫力の光景に、お祭りは最高潮に達します。
DAY3
昔の名残をとどめる神事「野馬懸」
最終日3日目、場所を相馬小高神社に移して行います。
「 野馬懸 」は昔の名残をとどめている唯一の神事と言われており、多くの馬の中から神のおぼし召しにかなう馬を素手で捕らえて奉納します。
まずは、小高郷の騎馬達が、旧小高城(相馬小高神社境内)に馬を追い込みます。
その後、白鉢巻きに白装束をつけた御小人(おこびと)と呼ばれる兵たちが、素手で馬を捕らえていきます。
初めに捕らえた馬を神社に奉納し「上げ野馬の神事」を行います。
歴代相馬氏当主は、この上げ馬の神事をもって、相馬地方の平和・安寧・繁盛を祈願してきたと言われています。
野馬追のかたちが変わる中、野馬懸は、ほぼ変わることなく受け継がれている行事です。
こうして熱気溢れる3日間の「相馬野馬追」は幕を閉じます。
知っておくべき!野馬追観戦のルール「してはならぬこと」
●高いところから見下ろしてはならぬ
騎馬武者は3日間のうちは武士、観覧する側は一般庶民ですので、身分が上の武士を見下ろすという行為は無礼にあたります。お行列などを観覧する際は、武者よりも低い位置から見るようにしましょう。
●お行列を横切ってはならぬ
こちらも無礼な行為にあたります。十分気をつけましょう。
●馬の後ろには立ってはならぬ
蹴られます。危険ですので馬の後ろには立たないようにしましょう。
●馬にフラッシュなどをあててはならぬ
馬が驚きます。馬にも優しくしましょう。
野馬追の面白さ発見!
相馬野馬追を観戦するうえで、”知っておくとより楽しめる!”そんな豆知識をまとめました。
①総大将は14歳!
地元で「殿」とも呼ばれ、祭りで騎馬武者を率いる「総大将」を務めるのは、旧相馬中村藩主・相馬家第33代当主相馬和胤(かずたね)さんの孫、言胤(としたね)さん、なんと!14歳!!
昨年度から総大将を務めており、2023年で2年連続となります。
若き総大将、楽しみです。
②最年少騎馬武者は5歳、推しの武者を探してみよう!
2022年最年少の騎馬武者はなんと5歳。暑い中兜を身につけ、馬に乗り、お行列に挑む力強い姿は必見。
2023年はどんな武者が現れるのか。是非”推しの武者”を見つけてみてくださいね。
③先祖代々受け継がれる「甲冑」
日本の甲冑は、戦闘の防具でありながらも美術工芸品のような美しさも魅力の一つ。
相双地区には1000領ほどが現存していると言われています。
飾られるだけではなく野馬追では実際に身につけて街を練り歩く姿は、動く文化財とも言われ、野馬追の見どころの一つです。
ちなみに甲冑は重さ約13kgもあり、一人で着るのは難しいそうです。
太陽が照りつける暑い7月、13kgもの甲冑を身につける騎馬武者達。
野馬追にかけるこの熱い想いこそが、多くの人を魅了するのではないでしょうか。
④同じものはない「旗印」
騎馬武者達が背負う旗は名札のようなもので同じものはありません。
模様には、縁起のいい言葉や、強さを表す動物など様々な願いが込められて作られており、江戸時代の終わりには2400~2600種類ほどあったと言われています。
よく見ると個性があり、面白い模様の旗もありますので、ぜひチェックしてみてください。
どんな願いが込められているのかを想像するのも楽しいですね。
総大将の旗は「大纏(おおまとい)」と呼び、他の旗よりも一回り大きく作られています。
模様は、黒地に日の丸。
この世の闇を照らす太陽を表しているそうです。
野馬追の旗を染めるのは染屋。
昔は20軒以上あった染屋も、現在南相馬市内では1軒となってしまったそうです。
職人の手により1枚1枚丁寧に染められる旗の美しさも必見です。
⑤馬のしっぽに注目!「馬の尾袋」
野馬追の馬達は、しっぽを青色の袋につつまれています。この青色の袋のことを「尾袋」といいます。
江戸時代には付けてはいけない決まりになっていましたが、明治時代神事になったことをきかっけに、馬の尾を飾り、身だしなみをよくするために付けるようになったそうです。
現在では祭礼に参加する馬の装飾として付けられています。
⑥相馬野馬追の合図「陣螺(じんがい)」
野馬追期間中のさまざまな合図として聞こえてくるほら貝の音。戦さの最中、つまり陣中に使われるので「陣貝」とも呼ばれ、合図の内容によって、それぞれ吹き方が異なるそうです。
「三蔵院流」という吹き方の流派は、牛渡家・羽根田家に伝わっていたと言われています。
野馬追では合図にほら貝を吹く役は「螺役(かいやく)」と呼ばれ活躍しています。
期間中に聞こえるほら貝の音にも注目ですね。
⑦国歌斉唱「相馬流れ山」
野馬追中に耳にすることの多い「相馬流れ山」。
流れ山とは、相馬中村藩の祖のふるさとである流れ山(現在の千葉県流山市)の地名にちなんだものです
もともと侍の間で歌われており、相馬藩の国歌とも言われ、野馬追と共に発達してきました。
歌詞の中には、野馬追の景観を歌ったものが多いことも特徴。
野馬追を鑑賞する際には、覚えておくとより一層楽しめること間違いなしです。
⑧馬と共に生きるまち南相馬
南相馬市では競馬で活躍した競走馬が第二の馬生を送っています。
市内では約200頭ほど馬が飼育されており、事業のためではなく、愛馬と共に野馬追に参加しようと飼われていることが多いそうです。
道路では車と馬がすれ違う日常や、野馬追の時期が迫ってくると早朝から海岸で練習する光景が見られるなど、馬と寄り添いながら生活をしている様子が目に浮かびます。
「馬の落とし物を踏むと足が速くなる」という迷信もあったそうですよ。馬が日常に溶け込んでいる地域だからこそですね。
まとめ
「相馬野馬追~予習編~」いかがでしたか?
約400騎の騎馬武者が揃う光景はとても珍しく、世界有数とも言われています。
相双地方のみなさんに大切に受け継がれてきたお祭りで、「相馬野馬追」には多くの人の想いがこもっています。
馬を飼う人、乗馬を指導する人、甲冑を修復する甲冑師、旗を染める染屋、出場する騎馬武者、騎馬武者を支える家族、そしてそれを受け継ぐ人々。
どれひとつ欠けても野馬追は成り立たず、その全ての人が後世に野馬追を残そうと考えています。
伝統を守るため、朝早くから馬と共に練習する姿や何代にも渡って残そうとする地域の方の姿には、並々ならぬ思い入れを感じます。
豪華絢爛、勇ましい騎馬武者達の姿、間近で見る馬の迫力など戦国絵巻としての相馬野馬追だけではなく、そこに込められた多くの人々の想いと誇りこそが、多くの人を魅了するのではないでしょうか?
ぜひ、今年の夏は南相馬で「相馬野馬追」を鑑賞してみませんか?
・参考文献
(一社)南相馬観光協会「相馬野馬追ガイドブック」
(一社)相馬野馬追「相馬野馬追」
南相馬市文化遺産を活かした復興まちづくり実行委員会「相馬野馬追MAP」
南相馬市役所「ミナミソウママガジン」
・写真
相馬野馬追執行委員会「相馬野馬追」サイトより